「ばか、どうしてこんなになるまで放っておいたんだ」 父親の怒鳴り声が部屋まで届く。 重い身体を引きずりながら、リビングまで辿り着く。 「いいのよ、あのまま死ねば」 「本気で言ってるのかお前は」 「あなたは家にいないじゃない」 怒鳴り声に負けじと、ヒステリックな声が響く。 ああ、また私のせいで言い争いか。 やめてと声をあげたつもりだけど、声が出なかった。 風邪のせいなのか。 視界もぼやけて、世界が歪む。 平衡感覚が失われ、地面が近づいてくる。 地面とぶつかる。 いや、自分が倒れたんだ。 フローリングの床が冷たくて心地良い。 「あんな◯◯、病院につれていけるわけないじゃない」 ……………… ………… …… 目が覚めると天井がぼやけている。 起き上がろうとしたが、身体が重い。 上半身だけ起こすと、おでこからタオルが落ちた。 「あっ、起きました?」 「うっ」 頭に鈍い痛みが走る。 「風邪ですよ、もう汗かいたまま寝るから」 葵は濡れタオルを拾い、水に浸す。 「身体拭きましょうか?」 「へっ!?」 葵は笑顔でこちらを見つめてくる。 自分でも驚くぐらいマヌケな声が出た。 「あ、あのな、気持ちは嬉しいが」 「恥ずかしがってるんですか?」 「当たり前だろ」 「服は着替えさせたんですけどね」 「なっ……」 服が変わっていることに、気付いた。 「汗で濡れていたので、軽く拭いて、着替えさせちゃいました」 「うぅ」 「寝汗でまた濡れてそうですから、また着替えましょうか」 恥ずかしさで顔が熱くなる。 濡れタオルを絞り、葵は近づいてくる。 「ほら、えいえい」 顔にタオルを優しく押し当てられる。 「あう」 「ほら、ばんざーい」 言われるがまま、手をあげると服を脱がされる。 「ばっ、この」 「いいじゃないですか、下着つけてるんですから」 「そういう問題じゃっ、あっ」 濡れタオルが火照った身体に心地よかった。 思わず声が漏れる。 「んっ……こらっ、くすぐったい……」 「えへへ、ごめんなさい」 葵は舌をだして、いたずらに笑う。 脇の下、腕、肘、手、指先の間まで丁寧に拭かれる。 「背中、どうします?」 「……お願い」 一瞬迷ったが、汗をかいて気持ち悪かったのも確かだ。 「じゃあ、失礼します」 葵は向かい合ったまま、私の背後に手を回すような形で、背中を拭いていく。 「背中の傷、見られたくないですもんね」 「いや、違うんだ」 見られたくないのではない。 嫌われたくないのだ。 「その、気持ち悪いって思われたくなくて」 背中の傷、このせいで学校の授業でのプールでも気持ち悪いと言われたことがある。 「思いませんよ」 傷痕にタオルが触れる。 身体がびくっとなり、前のめりになる。 「あっ、わっ」 体制を直そうとしたが、体調が悪いせいか、上手くいかず、葵にもたれ掛かる状態になった。 「ごめん」 葵の胸がクッション代わりになって、気持ちが良かった。 「あっ、いえ、だ、大丈夫です」 見上げると、葵は天井を見上げていた。 「どうした?」 「いえ、はな、は、鼻血が……」 「えっ?」 葵は身体を拭くのを中断して、濡れタオルを自分の鼻にあてていた。 ……………… ………… …… 朝、夏の熱気で目が覚める。 身体のダルさはなくなっていた。 「風邪治ったのかな」 起き上がろうとすると、隣に葵が寝ていることに気付いた。 両鼻にティッシュをつめて、口をあけて、寝ていた。 「起きろ」 頬を指でつつく。 「やわらかい」 白い肌に指が食い込む。 押し返そうとしてくる肌。 押し返したところを、もう一度指で押す。 寝苦しそうに眉間にシワを寄せている。 指を離すと、安らかな寝顔になる。 「うっ、やばい」 何かクセになるこの感覚。 自分でもまずいとは思っている。 でも、止められなかった。 「えへへ、気持ちいい」 ぷにぷにと頬を押していると、葵は寝返りをうった。 「わっ」 たまたま、開いていた葵の口の中に指が入ってしまう。 「あにゅ……」 葵は情けない声をあげて、目を覚ます。 「違うんだ」 「ふぁ、おはようござふぃます」 指を咥えながら、器用に喋る。 喋るたびに、唇で指が挟まれる。 舌が指先に絡まる。 「お、おはよう」 ゆっくり指を引き抜くと、葵の口元と私の指先の間に糸が引いていた。 「なに、してるんですか?」 「ちょっとな」 寝ぼけ顔で見つめてくる葵をどうにか誤魔化し、起き上がる。 「朝ごはん、何食べたい?」 「んーチョコレートパフェ」 どうやらまだ寝ぼけているようだ。 ……………… ………… …… 夏の熱気を逃れるように、どうにかファミレスに辿り着いた。 店内はガンガン冷房が効いていて、快適だ。 ウェイトレスが案内してくれた席に、ダルそうに座る。 「パンケーキとチョコレートパフェ」 ついでに注文を済ませ、水を一気に飲み干す。 「暑いですからね」 私の姿に、葵は苦笑する。 「ところで、なんでフード被ってるんです?」 「白髪が目立つから」 今となっては、もうフード被るのが日課になってしまっている。 子供の頃に髪色でいじめられたことがトラウマになっているのかもしれない。 「綺麗な白髪なのに」 「そ、そうか」 葵は変わっている。 普通は自分より何かが変わっていることを恐れるのが普通だ。 あの能力だって、そうだ。 「おまたせしました」 ウェイトレスがパンケーキとチョコレートパフェをテーブルへと置いていく。 「ところで、なんでチョコレートパフェなんです?」 「朝食べたいって言ってた」 パンケーキにメープルシロップをかける。 「ふぇ、そうなんですか」 やはり寝ぼけていたようだ。 「まぁ、看病のお礼だ。ご馳走するよ。」 パンケーキをカットして頬張る。 温かくてやわらかい感触と、しっとりと湿っているメープルシロップの甘さが口いっぱいに広がる。 「えへへ、じゃあ遠慮無く」 葵は嬉しそうにチョコレートパフェを頬張る。 出会って、どのぐらいになったのだろうか。 すごく長い付き合いに感じる。 「んー、美味しい」 葵は笑顔で見つめてくる。 「緋色さんも食べますか?」 スプーンですくい、差し出してくる。 「うっ……」 辺りを見回す。 昼ごはんを楽しむOL、私と同じぐらいの歳ぐらいの男女たち。 なんだか、私を見ているような気がして…… 「いらないんですか?」 葵は首をかしげる。 差し出されたスプーンは向けられたままだ。 「くっ、ままよ」 覚悟を決めて、差し出されたスプーンに向け口を開ける。 メープルシロップとは違う甘さが口に広がる。 「ん、ありがと」 「えへへ、どういたしまして」 恥ずかしさで、俯く。 長い黒髪をかきあげ、パフェを口に運んでいる。 私よりも長身で、その胸……いや、スタイルも良い。 それでいて、優しい。 私は今でも結那を助けようとし、身体を鍛えている。 今ではうっすら腹筋ができている。 葵と仲良くなることが、この復讐心を薄れさせていきそうで…… 「緋色さん?」 「えっ」 葵は空になったパフェの器をスプーンでつついている。 「聞いてます?」 不機嫌そうに頬を膨らませて、下から覗いてくる。 意識が一気に戻る。 「ごめん」 「やっぱり頬赤い、まだ風邪治りかけだったのかな」 葵は身を乗り出して、私のおでこに手をあてようとする。 シャツが甘いせいか、胸元が目に入る。 「い、いや、だ、大丈夫だから」 多分、さっきのパフェを食べさせてもらったことで恥ずかしさで赤くなっているんだろう。 「緋色さん、お祭りいきましょ」 「えっ」 人混みは嫌いだ。 賑わい、活気、根暗な私には眩しくて…… 「行きましょうよー」 結那と同じだ。 こうなってしまっては、もう断れない。 「あぁ、少しだけなら良いよ」 「じゃ、今日の夜に♪」 もうそんな時期か。 もし、結那がいたら一緒に行っていただろう。 思い出したら急に胸が苦しくなった。 思い出が上書きされるような気がして、結那との思い出が霞むような気がして…… 「あぁ……」 気持ちはもう上の空だった。 ……………… ………… ……