「えへへ」 金魚の入った袋を眺めては葵は笑顔になる。 ずっとそれを繰り返している。 「三匹だとちょっと狭そうだね」 「そうですね。緋色さんの家って水槽ありましたっけ?」 「ないな、かわいそうだけど今晩だけコップとかに移すしかなさそうだ」 生き物を飼うのは初めてだ。 昔、金魚すくいをやった時は、持ち帰らず返してしまった。 母親のことを考えると、難癖つけて怒られると思ったからだ。 生き物を飼うってのは命の責任ができるということだ。 安易に引き受けてはならない。 でも…… 「えへへ」 葵の嬉しそうな笑顔が見れるなら、その責任を背負うのも悪く無いと思った。 「やあ」 パーカーのフード部分を引っ張られ、外される。 「へっ?」 振り返ると見知らぬ女性が立っていた。 金髪のボブでメガネをかけている。 迷彩柄のタンクトップにホットパンツという夏らしいラフな格好。 ニッコリと笑顔で話しかけてきた。 「あの、なにか用ですか?」 私の代わりに葵が話しかける。 夏特有の湿気まじりのヌルい風が吹いた。 「フード被り、白髪、炎の能力者だな?」 心臓の鼓動が早くなる。 嫌な汗がじんわり体中から吹き出る。 何故、こいつは能力のことを知っている? 「さあ、何言ってるんだ」 葵の手を引き、立ち去ろうとする。 「えっ、でも……」 戸惑っている葵の手を強引に引く。 「はぁ、そうかい」 女性は溜息を吐く。 タバコに火をつけて、こちらを睨んでくる。 「なら、化けの皮剥いでやるよ」 「えっ?」 女性は葵の持っている金魚のビニール袋をつかむ。 「ちょっ、なにしてるんですか」 「黙ってろ」 破裂音が響く、水が爆ぜた。 金魚の肉片が葵の服に飛び散る。 「きゃっ」 私は葵の手を思い切り引いて、後方に吹き飛ばす。 「雨ノ宮憐、推して参る」 「お前っ」 ライターに手をかけ、指先に炎を宿らせる。 練習の積み重ねのおかげで、大分早くなった。 相手は待ってくれないのだ。 「やはり炎の能力者か」 「なんだかわからないけど、仕掛けてくるなら」 炎を燐に向かって放つ。 しかし、避けようとしない。 「炎は水には勝てない」 燐の指先から放たれる水弾は、私の炎をかき消す。 「なっ」 相殺ではない。 一方的に負けてしまった。 そのまま水弾は、私の肩を貫いた。 噴き出る鮮血、貫かれた箇所が熱い。 「次は足かな」 燐が私の足を指を向ける。 「くそっ」 出血している肩を抑えて、後方へ飛ぶ。 「そんなんで逃げられると思ったのか」 水が追ってくる。 咄嗟に身を捩るが右腿に激痛が走る。 私の右腿に風穴が空いた。 「つっ……」 水圧を一点集中で押し付ける。 まるでレーザーのようなウォーターカッターだ。 私の炎なんかよりも断然速くて、的確な攻撃だ。 「緋色さんっ」 「来るなっ」 駆け寄る葵を呼び止めるが遅かった。 「大丈夫ですか!?」 葵が私の顔に近づいてくる。 「今治します」 更に近づいてきて、唇を重ねる。 「んっ」 葵の柔らかい唇が私に触れている。 初めてのキスをこんな形で、しかも同性に奪われるなんて思ってもいなかった。 「葵っ、お前っ、なにしてっ……アレ……?」 傷口が塞がっていた。 というよりも、癒えていた。 「逃げましょう」 葵は私の手をひこうとするが、それを振り払う。 「いや、こいつを倒す」 「治癒能力だと……」 睨みつけるが、こちらを見ていない。 燐は驚いた顔で葵の方を見ていた。 「人殺しと治癒能力者か、今日は運がいいな」 「人殺し?」 「言い訳は後で聞くよ」 また指先から水が噴射される。 当たったら切断される。 葵を突き飛ばし、その逆側へと横飛で躱す。 後ろにあった木々に水が当たり、穴が空く。 肉体だった場合、さっきと同じように穴が空く。 恐怖を頭を振り、振り払う。 両頬を叩いて、気合を入れる。 ジッポのライターの金属音が響く。 「ちっ、外したか」 燐は短くなったタバコ吐き捨て、再びタバコに火をつける。 「戦うしかないか」 燐は相当の手だれに見える。 相手を傷つけるのに躊躇がない。 燐を中心に円を書くように、炎を宿した右手をわざと地面すれすれを這うように走る。 草を燃やし、火が上がる。 少しでも注意力が避ければ御の字だ。 「せぇのっ」 地面すれすれの右手を握りしめて、燐目掛けて振り上げる。 その動きに合わせるように炎が残像のようについていく。 「ちっ」 燐はバランスを崩しながらも、横に躱す。 炎が金髪に掠れ、焦げ臭い匂いが鼻を刺す。 「こんのぉ」 躱した先の地面目掛けて、右手を振り下ろす。 炎は地面に叩きつけられ、周囲を燃やす。 「そうやって焼き殺してきたのか」 「人の話を聞かないやつだな」 バランスを崩し転倒しながらも、燐は指先からウォーターカッター放ってきた。 咄嗟に顔を横にずらすが、耳に当たった。 鋭利な刃物で切れたように、焼けるように痛い。 「届けっ」 燐の顔面を鷲掴みにし、そのまま押し倒す。 「くそっ」 ジリジリとタバコが短くなっていく。 顔面から煙が立ち込め、皮膚が焼ける嫌な匂いがする。 指先から放たれるウォーターカッターを警戒し、馬乗りになり、右手の炎で顔面を焼く。 「あぐぅ」 苦しそうな声をあげる。 開いた口から、力なくタバコが落ちる。 もう終わらせたい。 だが、日向の時はとどめを刺さなかったのが裏目になった。 耳をふさぎたくなるような声、立ち去りたくなるような悪臭、思わず攻撃する手を緩めそうになる。 しかし、攻撃を緩めたせいで結那いなくなってしまった。 これは作業だ。 私は思考を停止させた。 後は声が出なくなるまで、この炎を押し付けて…… 「やめてくださいっ」 葵の声が頭に響く。 止めていた思考が動き出す。 「くそっ、私は……」 攻撃の手をやめ立ち上がる。 手を振り払うと、焼け溶けて、へばりついた皮膚が飛ぶ。 「はぁー、ふぅ、緋色さん待っててください」 葵は深呼吸をして、燐の唇にキスをする。 「ぷはぁ……ご、ごめんなさい」 キスを終えるとこちらに振り返り、葵は頭を下げる。 私はイライラしていた。 殺されるところだった相手を助けたからか…… 葵が燐にキスをしたせいか…… 感情が整理できないまま、言葉にする。 「なんで謝る」 「いや、あの、あのままだと人殺しで緋色さんが悪者に……」 「違っ、そんなつもりじゃ」 言葉では否定したが当たっている。 殺そうとした。 殺されそうになったから殺そうとした。 正当な防衛か、過剰防衛…… 「帰りましょ、ね」 「あいつ、置いといて平気なのか?」 「大丈夫ですよ、治癒はしておきましたから」 「能力者……なのか……?」 思っていた疑問をそのままぶつける。 「多分そうなのかな、昔からあるんで別にそんな意識はないですけど」 葵はふらふらと足取りが重い。 その葵に私はそっと肩を貸す。 「えへへ、この力を使うと疲れちゃうんですよ」 葵の顔色が悪い。 私は背伸びをして、優しく頭を撫でる。 「あはは、力使いすぎちゃったのかな」 葵の鼻から血が垂れる。 「お、おい」 「うーん、すぐ治ると思います」 葵は鼻を抑えながら苦笑を浮かべる。 不安は隠せない。 燐が目を覚ます前に退散しよう。 「ちょっとごめん」 葵を強引にお姫様抱っこする。 「わっ、ちょっ」 「暴れるな」 「は、はい」 不安なのか緊張なのか、葵は小刻みに震えている。 「大丈夫、ちょっとだけ辛抱してて」 そう言い聞かせ、その場を後にした。 ……………… ………… ……